の熱は、ハオが去ってすぐにひいた。 その後オイラ達はハオの仕掛けた河の暴走を何とか防ぎ、雪山を越えた。 山を降りた頃には雪もすっかり止んで、日光によってどんどん地面も姿を現していた。 また、同じ旅の日々が始まる。 そう思っていた。 なのに。 何があったのかは知らない。 でも、これだけは言える。 蓮の様子がおかしい。 ちょうど雪山を越えた頃からだ。 雪山での、ハオととのやり取り―― 蓮は蓮なりにあのことを気にしているのだろうか。 そりゃ、オイラだって気になる。 飛行場の時といい雪山の時といい。 どうもあいつら二人の間には、何かがあるようで。 あんまり気になるものだから、雪山を降りる際、熱も引いてすっかり元気になったに、さりげなく尋ねてみた。 あの洞窟での出来事は、一体なんだったのか。 はハオと―――どういう仲なのか。 だけど。 『え……何の、こと…?』 きょとんとした瞳が思い浮かぶ。 そこには一切の虚偽は見えず、ただ純粋な疑念だけが宿っていた。 つまり、心底不思議そうな表情で。 はあの洞窟でのことは、まったく覚えていないというのだ。 ハオに会ったことすらも。 彼女の記憶は、熱で倒れ、ホロホロに背負われたあたりでぷっつり途絶えているらしいのだ。 …そんな、馬鹿な。 とは思ったけれど、あの時の、まるで別人のような彼女の様子を思い出してみれば、妙に納得してしまう自分が、いた。 それに、本人がそう言っているのだ。嘘をついている様子も、見受けられないし、第一はそんな奴じゃないってよく知っている。 だからオイラも、傍で聞き耳を立てていたらしいホロホロ達も口を噤むしかなかった。 蓮ですらも――― 何も言わなかった。たぶん、何も言えなかったんじゃないかと思う。 けれど、新たにわかったこともあった。 が初めてハオに出会ったという時の話。 それはちょうど、オイラ達が蓮と一緒に日本へ帰って来た頃だというのだから、驚いた。 オイラ達が炎の敷居をくぐる直前まで、あいつはあそこにいたのか。 凄く驚いたけど―――でも、それだけだった。 にとってはそれがハオとの初対面だったのだから、何故ハオがを知っているのかと言う疑問についてはそのままだった。 疑問と言えば… 何故はこのシャーマンファイト二次予選についてきたのだろう? 彼女が霊は視えどもシャーマンではないということぐらい、蓮だって知っているだろうに。 疑問ばかりが膨らむ。 でもそれはやっぱりオイラだけではないようで… ホロホロも竜もリゼルグだって、口には出さないけど気になっているようだった。 だけどそれにしたって。 蓮の変わりようは、おかしい。 最初は気付かなかった。 表面上だけ見れば、おかしいのは蓮じゃなくて、の方だったからだ。 蓮はいつもどおり。オイラ達と話すその姿勢は全く普段と変わらない。 ただが何故か――時おり、蓮のほうをチラチラと物憂げに気にしていて。 それは本当にさりげない動作だった。たぶん本人も気付いていないんだろう。 でも、オイラはそれに気付いちまって――――そして、蓮の微妙な違和感に気付いたのだ。 実際におかしかったのは、じゃない。蓮だったんだ。 でも…何といえばいいのだろう。 雪山を越えたあたりから―― 何かが、違う。 具体的に何がどう違うのかはわからない。 ただ、そう。確実に言えるのは 二人の会話が、なくなった。 それは本当に―――さりげなく。 実際ホロホロ達は、全然気付いていないみたいで。 ただ…オイラだけが些細な違和感を感じている。 この間のときとはまた違う、この感じ。 一体何があったんだろう。 二人――特に蓮の方に。 今度は蓮のほうが、に嫉妬でもしてケンカしたのかと思ったが、どうも違う気がした。 予想外だ。 あの蓮に、何が――? 「―――、大丈夫?」 病み上がりの彼女を心配してか、その隣にリゼルグが並んだ。 …そうだ。 あの雪山のあと、変わってしまったのは蓮とだけじゃなかった。 リゼルグも。 何故かあの一件以来、気付けばの傍にいて、何かと世話を焼いているのだ。 そう、まるで―― 今までの蓮の位置に、リゼルグがいるみたいに。 一体あいつらに、何があったと言うんだろう。 「―――」 しかし、取り留めのない思考はそこで中断された。 理由は簡単だ。 「……おい」 ホロホロが低い声で言う。 「ああ」 オイラも頷き返した。 蓮は無言で馬孫刀を構え、リゼルグもペンデュラムを手に少し腰を落とす。 も感じたのか、緊張した面持ちで少し後ろに下がった。 竜がすぐ近くの茂みに向かって、挑発的に呼びかける。 「おぉい! 隠れん坊にしちゃ、お粗末じゃねえか」 その瞬間―― 殺気が膨れ上がった。 「ッ!」 茂みから飛び出てくる影。 がきんっ、という音と共に、咄嗟に構えた春雨に何かがぶつかる。 重い…! これは―― 「ふん、この二次予選まで勝ち抜いただけのことはあるようだな」 オイラが春雨で受け止めたのは、ぎらりと鈍く輝く大振りの刀。 その向こうで、暗色のフードにマスクをした男が、目に薄笑いを浮かべていた。 ――わかる。 「お前らもっ…シャーマンなんか…!」 「そうだ。だがおれ達の目的は、別にお前らを潰すことじゃねえ」 「”おれ達”…!?」 「っく…!」 背後で竜の声が聞こえた。 ちらりと見てみれば――― 「! お前ら、一体何人いやがるんだ!?」 オイラの言葉に、男がくぐもった笑い声をあげた。 いつの間にか前後左右、全てに何十人もの影。 その全員が、今目の前にいる男と同じく暗色のフードとマスクをし、顔はわからない。 ただ瞳だけが殺気でぎらついていた。 くそ、囲まれた――。 「おいおい、そう怖い顔しなさんな。言っただろ、おれ達の目的は戦うことじゃねえって」 不意に腕が軽くなったと思うと、男がひょいっとオイラから距離を取った。 だけど、そのにやにやと嫌な目つきはそのままで。 「……じゃあ、何だって言うんだ」 すると、男は肩を竦め、事も無げに言った。 「簡単なことさ。そこの“星の乙女”を渡して貰おうか」 ………? 耳慣れない単語に、オイラの頭に疑問が浮かぶ。 それはみんなも同じのようで―― 否。 「…貴様ら、どういうことだッ!?」 ただ一人、蓮だけが鋭く詰問した。 蓮は知っているようだった。 “星の乙女”とやらを。 オイラも含め、ホロホロや竜、リゼルグは怪訝そうに顔をしかめた。 「どうこうもねえさ。そのまんまの意味だ」 「貴様らは……“星の乙女”のことを知っているのか」 「まあな。俺らだけじゃねえ、二次予選に参加している奴は殆ど知ってるぜ。皆パッチ村の情報を集めるのに必死だからな――」 その過程で自ずと知れてくるもんさ、と男は言う。 蓮との間に――火花が散る。 オイラ達は置いてけぼりのまま。 「――さて」 男が一歩踏み出す。 じゃり、と音がした。 「大人しく“星の乙女”を渡してくれりゃ、おれ達も大人しく引き下がる。そうじゃなきゃ――」 「力づくで――というわけか」 「おう。わかってんじゃねえか」 男がけらけらと笑うのを、蓮がフンと鼻で一蹴した。 「その前に一つ訊く。貴様らは―――“星の乙女”を手に入れてどうするつもりだ?」 「あ? そんなのお前決まってんだろ」 途端、にいと男の笑みが深くなる。 その奥に眠る確かな悪意に―――ぞわりと背筋が総毛立った。 「力さ! 噂じゃ“星の乙女”ってのは、絶大な神の力を宿した、貴重な存在だって言うじゃねえか。ならそいつを手に入れれば――」 「馬鹿か。ただのシャーマンが、他の人間の力をどうやって取り込もうと言うのだ」 「そんなの決まってんだろ。―――食うのさ」 「…なに?」 これには蓮も愕然とする。 余りに予想外で倫理から外れた言葉を、しかし実にアッサリと――男は言った。 「別に丸ごと食う必要はねえ。肉一かけら、いやいや血を一口だけだっていい。 とにかくその“星の乙女”の身体の一部分だけでも口にすりゃ、力を取り込める。―――おれはそう聞いたぜ」 「き、さま……貴様それでも人間か!」 「何言ってんだ。シャーマンキングになりたいのは誰だって同じなんだ。お前だってそうだろ? その噂を聞いたなら……試してみたいと思わないか」 「俺を貴様のような屑と一緒にするな! 下らないにも程がある!」 そう吐き捨てるように蓮が言うと、ちぇっと男が舌打ちをした。 そこでようやく――オイラは口を挟む。 「お、おいちょっと待て蓮! 何なんよ、さっきからその、“星の乙女”って…」 「そうだぜ蓮! 一体何のことなんだよ!」 竜も続けて言う。 すると、男が驚いたように、 「何だぁ? お前らそんだけ一緒にいて知らねえの?」 「だから何なんだよ“星の乙女”ってのはよ!」 ホロホロが苛々と怒鳴る。 その隣で、リゼルグも口には出さずとも表情がそう語っていた。 蓮が、何故かぐっと言葉を詰まらせる。 何だ? 何のことなんだ? 「ったく、灯台元暗しってのはこのことだよなあ。よく見ろよ坊主共。“星の乙女”はそこにいるじゃねえか。 そこでただ何も出来ずに震えてる―――――お嬢ちゃんがさ」 「え―――?」 男の視線の先を見る。 でも、でも、そこには―― 彼女しか、いないじゃないか。 全員の視線が注目する中、彼女――が、びくっと身体を強張らせた。 「が…」 「星の乙女…?」 同じように愕然と呟くホロホロ達の声も聞こえてくる。 ここにいるオイラ達はみんな、多分同じ気持ちだった。 ただ――蓮とあの男と…当の本人、を除いて。 「さあて……渡して貰おうか。“星の乙女”を」 気がつけば、じりじりと周囲の奴らが近付いてきていた。 その焼け付くような殺気と。 男の瞳に浮かぶ――獲物を目前にした、狂喜に。 「っひ…」 の顔が青ざめる。 恐怖と、寒気にも似た―――嫌悪。 「それが駄目なら――行くぜええええええええ!」 「くっ…!」 男達がいっせいに飛び掛る。 オイラ達は慌てての元へ集まり―― 駄目だ…間に合わねえッ! そう思ったその時。 「トーテミックソウルブラストッ!!!」 力強い声と共に――オイラ達の横を、巨大な閃光がすり抜けた。 それはそのまま、男に直撃する。 「ぐァあッ!」 たまらず飛ばされ、倒れ付す男。 そしてそのまま――ぴくりとも動かなくなった。 それと同時に、ぼしゅんと音を立て次々に周囲にいた男達の影が消える。 これは――オーバーソウル!? オイラは呆然と、いつの間にか背後にいた―――その良く見知った姿の名前を叫ぶ。 「―――シルバ!」 そう、そこには。 あの十祭司の姿があった。 手には、持ち霊達が合体したトーテムポール砲が構えられている。 男が動かなくなったのを確認すると、シルバはオーバーソウルを解き、オイラ達に向き直った。 「…良かった。間に合った」 変わらず優しいその言葉に―― オイラだけじゃない、この場にいる全員から、緊張が解けた。 へなへなと膝の力が抜け、地面に座り込む。 「――何だよシルバ…いたんならもっと早く来てくれよ」 「仕方ないだろう。我々パッチ族は、原則として選手同士の戦いには手を出さない。唯一つ――例外を除いて」 「例外?」 「ああ、例えば……今のように、“星の乙女”に危機が迫った時」 ザッと音を立て、シルバがに近付く。 も腰が抜けていたのか、ぼんやりと座り込んだままシルバを見上げた。 シルバがしゃがみこんで、の顔を覗き込む。 「大丈夫か?」 その言葉に、こくんとが無言で頷いた。 顔はオイラの位置からじゃ、影になって見えない。 ただ―― 肩の震えは、幾分小さくなったとはいえまだ完全には消えていなくて。 シルバもそれに気付いたのか、ぽんぽん、との頭を撫でた。 「――なあシルバ」 ホロホロが口を開いた。 「さっきの奴も言ってたその“星の乙女”ってのは――― 一体何なんだよ」 「………」 「蓮ももシルバも……何を隠してんだよ!」 蓮が唇を噛んだ。 はただ何も言わずに俯く。 シルバが――ふぅ、と小さなため息を吐いた。 「別に隠していた訳じゃないさ。シャーマンファイトを進んでいけば自ずと知れてくることだからね。さっきの彼のように。 ただ――打ち明ける機会を失ってしまっただけだ」 「打ち明ける…?」 「ああ。オレもまさか、蓮君がこんなに沢山の仲間と一緒に過ごすなんて思いもしなかったから。 でも…そうだな。これも巡り合わせ。“星の乙女”について、今此処で君たちに打ち明ける…いい機会かもしれない」 そう言うと。 シルバは立ち上がり、改めてオイラ達の方を向いた。 ばさりとマントがはためく。 そして、シルバは静かに話し始めた。 恐らく蓮も知らないであろう―――“星の乙女”のことを。 「まずは我々パッチ族に伝わる、ある神話から話さねばならない―――」 まだ世界が、空と海だけで構成されていた頃。 ある時偉大な霊に導かれ、一人の女がやって来た。 彼女は海の底から泥を掬い上げると、大地を創った。 多くの動物達がその大地に足をつけた。 その後、女は双子を生んだ。 双子はどちらがこの世界を統べるか、戦って決めようとした。 結果、勝ったのは兄。 敗れた弟は兄の下につき、兄を守ると共に世界の平定に力を貸した。 「―――その弟こそ、我らパッチ族の始祖。そして勝った兄は……初代のシャーマンキングだ」 「…!」 「偉大な霊とは、勿論グレートスピリッツのことだ。 そして双子を生んだ女性―――世界の創始者であり、我らすべての人の母とも言われる―――彼女こそが、。現代では“星の乙女”と呼ばれる彼女の、一番最初の姿だ」 「なっ…」 唐突な展開に、一同全員が目を見開いた。 神話そのものは、どこにでもあるような創世記だ。 だが何処の国の神話も、神話であるが故に果てしなく抽象的で、ストーリーは伝説やおとぎ噺とそう大差ない。 …史実と神話は、違うのだ。 そんな一同の雰囲気を感じ取ってか、シルバが続ける。 「確かにこれは、先に言った通り我らパッチに伝わる神話だ。史実ではない。科学的根拠もない。異なる民族から見れば、単なる伝説にしか過ぎないだろう」 だが――、とシルバはいったん言葉を止めて。 「…今の話が例えただの伝説であれ――これから話すのは、すべて事実だ。それは勘違いしないで欲しい」 そう静かに一同を見回して。 視線が集中する中、再びシルバは口を開いた。 「シャーマンファイトの起源は、その双子の戦いにある。 ファイトの進行を司り、新たな王を守るのは、初代シャーマンキングを守護していた弟の子孫、我々パッチ。 そして“星の乙女”は――最初のシャーマンファイトから、五百年ごとにファイトが開催され、そして此度に至るまで…すべてのファイトを見守ってきた」 「ど、どういうことだ?」 葉が怪訝そうに尋ねた。 「だって最初のシャーマンファイトなんて…それはもう途方もねえくらい、昔の話だろ」 地球が誕生して現在まで、およそ46億年。 人間が地球上に姿を現してから、およそ500万年。 そんなにも永い時間を生きられる生命体など、ありえない。 だが。 「…いや。言い方が悪かったかな。 彼女は一番最初のファイトから今に至るまで、ずっと生き続けてきたわけじゃない。五百年ごと、ファイトが開催されるごとに、転生してきたんだ。膨大な記憶を引き継ぎながら」 「膨大な、記憶―――?」 「そう、それこそ彼女が彼女たる証拠。普通、人は転生する際、前世の記憶はすべて失われる。だが彼女は、今まで自分が生きてきた記憶すべてを持ったまま、生まれ変わるんだ。五百年ごとに」 そうまでして課せられた、彼女の役割。 グレートスピリッツに導かれ、この大地を創造し―――彼女は何を背負ったのか。 「彼女の役割は―――見守ること」 「え…?」 そのたった一言の言葉に、一同は唖然となる。 そう、一言。 口に出してしまえばとても呆気ない、一言。 それが、途方も無い量の記憶を引き継ぎながらも、遂行せねばならない使命。 だけれどそこに秘められているものは、 「ファイトを見守り……新たな王となるべき人物を、王座へと導くのがさだめ」 ――――とてつもなく、重いもの。 「その代わりに彼女は、ただの人間とは比べ物にならないくらい、グレートスピリッツと近いところにいる。 物理的な距離じゃない…意識の距離、とでも言おうか。 我々パッチですらも届かない、とても近しいところに彼らはいる。だから“星の乙女”は、グレートスピリッツの意思を感じ取ることが出来る。 ―――ああ、蓮君は、彼女から聞いたことはないかな。彼女がどうやって……グレートスピリッツと交流を果たすのか」 「…っ……」 いきなり話を向けられ、戸惑いながらも―――蓮はじっと考え込んだ。 そうだ、そういえば―― 『カミサマは、夢で教えてくれる』 思い、出した。 「夢で――教えてくれると、言っていた…」 そう、彼女は言っていた。 出逢って間もない頃の記憶。 今となっては遠い、思い出。 シルバは頷いた。 「そう。いわゆる夢のお告げ――。夢によって彼女はグレートスピリッツと繋がっている。…しかし、もうひとつあるんだ」 「まだあるんか?」 「ああ。伝承では、乙女は二つの力を持ってして大いなる意思との疎通を図ると言われている。ひとつは夢告。そしてもう一つは…」 「詩――ですね?」 リゼルグが静かに言った。 シルバが驚いたように、「あ…ああ」と頷いた。 「良く知っているな」 「少し前――彼女の詩を聴いたんです。それはとても優しくて、尊くて、気高い…そんな詩でした」 まるで、神に祈りを捧げるように。 一度も聞いたことのないホロホロが、ヘェと感嘆したように声を上げた。 「そうか。――なら今この時点では、詩は思い出せているという訳だな」 聞こえてきたシルバの小さな呟きに。 ―――――オイラは「どういうことだ?」と尋ねた。 「さっきも言った通り―――今までの“星の乙女”はね、一番最初のシャーマンファイトからそれまでに至る記憶を、全て持っていたんだ」 グレート・スピリッツと同じように。 ―――だが。 ある時パッチの現族長ゴルドバが、ひそかに生前の先代族長から聞いていたらしい。 もしかしたら――次の“星の乙女”は、今までのすべての記憶を失っているかもしれぬ、と。 無論、このとき先代族長は一つの可能性として、ゴルドバに告げただけだった。 だが実際に乙女を迎えに来てみれば―― 「……その先代が言った通りだった、ということか」 パッチ達がホテルの屋上に来ていたことを思い出し、蓮が言った。 その言葉を受けて、シルバが頷く。 「その記憶を失ってる、ってのは……一体どういうことなんだ?」 ホロホロが尋ねた。 つい先代まではあった記憶が、何故今回に限って失なわれてしまったのか。 しかも、気の遠くなるほど昔の、一番最初のシャーマンファイトから続く、膨大な記憶をだ。 当然の疑問だった。 だが、シルバはゆっくりと首を横に振る。 「俺も訊いてみた。何故記憶がないのかと―― だがゴルドバ様は、お前には関係ないことだからと、明確な答えを仰ってはくれなかった」 その釈然としない口調に、シルバ自身も疑問を拭いきれていないことが良くわかる。 「でも―――今聞いた話によれば、は詩を詠える。……理由はどうあれ、少しは記憶が戻ってきた、ということかな?」 シルバは確認するように、隣のを見た。 しかし応答はない。 シルバが怪訝そうにもう一度「…?」と呼ぶ。 すると、やっとの肩がびくりと揺れた。 「あ……ご、ごめんなさ…」 おそるおそるシルバの顔を見上げる。 その声に残る震えに、シルバがハッと目を見開き、即座にしゃがみこんでの背を撫でる。 「――大丈夫、大丈夫だ。もう敵はいないから」 「…わかってます……わかって…ます…ご、ごめん、なさ…」 「」 途切れ途切れに言葉を吐き出すと、そのままは何かを堪えるようにぎゅっと手を握り締めた。 そこで、オイラもやっと理解する。 そうだ。 オイラ達みたいに戦闘に慣れているならまだしも… ここにいる彼女は“星の乙女”と呼ばれながらもただの等身大の女の子なんだ。 なのに、あんな風にむき出しの殺気にあてられて。 しかもそれを余すところなくすべて自分に向けられて。 平気でいられる筈が、ないのに。 此処にいる誰もが失念していた。 シルバに背を撫でられながら、の肩がまた大きく震えた。 それと共に微かに聞こえてくるのは―――小さな、嗚咽。 ―――――当然、蓮がそこへ行くものだと、思っていたんだ。 あいつは、自分ではまだ気付いていないかもしれないけど、きっとのことを… だけど。 蓮の動く気配はなかった。 不審に思ってそっと見やると―――ただ蓮は黙って佇んでいた。 まるで何かを拒絶するように地面を凝視して。 まるで何かを堪えるように、拳を握り締めて。 から無理矢理視線を外すように。 ―――それに気付いたのは、多分オイラだけ。 (……何でだ?) ここでも違和感。 真っ先にの元へ行くだろうと予想していた彼が、何故か動こうとしない。 これは、何なのだろう。 見えない壁が、見えない溝が――確実にこの二人の間にはある。 かと言ってそれは蓮の一方的なもののようにも感じられて。 訳もわからず立ち尽くしていると、スッとオイラの傍を誰かが通り抜けた。 その人物は、小走りにの元へ駆け寄ると、シルバと同じようにしゃがみこんだ。 察したシルバがそっとから離れる。 「」 優しげな声音で、名を呼んで。 「……リゼルグ…?」 も顔を上げた。 潤んで若干赤くなった瞳。 その小さな体躯を、ふわりとリゼルグが抱きしめる。 「もう怖くないよ。大丈夫」 言いながらゆっくりゆっくり彼女の頭を撫でる。 その動作には、 「…う…ん、…」 と、噛み締めるように小さく頷いた。 リゼルグは、シルバに問う。 「シルバさん、あの……彼女とちょっと、離れた所へ行ってきてもいいですか?」 「…ああ」 シルバが了承するや否や、リゼルグはに「立てる?」と囁く。 それにがこくりと頷くと、リゼルグは彼女を立たせ、まるで抱えるようにして歩き出した。 彼が向かう先には、これからオイラ達が行こうとしていた街が見える。 「葉くん、先に行って、宿確保しておくね」 「お、おう…」 そう振り返ったリゼルグに返事をし、再び歩き出した彼ら二人の背をぼんやりと見つめた。 他のみんなもそんな感じだった。 特にホロホロや竜は……予想外の出来事に唖然としている。 そりゃそうだろう。 だって、ここにいる誰もが――今あのリゼルグがいる場所には、アイツが――蓮がいるもんだと思っていたから。 その当のアイツは、さっきと同じようにじっと俯いたまま、リゼルグたちを見ようともしなかった。 ここにも 確かな、壁。 「―――じゃあ、話を続けるよ」 二人の姿が見えなくなった頃、シルバがそう言った。 この場に流れる微妙な空気に気付かないまま。 |